2010年11月
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秋の京都御所

トロフィー工房のhirominです。

京都御所の一般公開が、先日、11月17日から21日の5日間行われました。夫が、また朝からいないぁと、おもっていたら、御所の一般公開に出かけていたと言うのです。京都御所は、ご周知のとおり、毎年、春と秋に一般公開されます。わずか5日間だけということもあり、また、京都はただいま紅葉真っ盛りということもあり、訪れる人は決して少なくなかった申します。秋でそうなのですから、春、桜の季節は、もっと多いことが予想されます。

紫宸殿

 京都御所は、その古来の「内裏」の形態を今日に保存している由緒あるものということです。内裏とは帝の公私にわたる生活の場で、即位礼などの重要な儀式を行う正殿の紫宸殿(ししんでん)、帝の住居兼執務所の清涼殿(せいりょうでん)、女御(にょうご)、更衣(こうい)らの住む後宮などで構成されています。源氏物語の舞台となったところですね。

一般公開の参観は、御所西方の宜秋門(ぎしゅうもん)から御車寄(おくるまよせ)、日華門、紫宸殿、清涼殿、小御所、御池庭、蹴鞠の庭、御学問所、御常御殿、御内庭というコースがとられ、殿内には人形や調度品が展示されており、当時の宮廷生活の一端を見せてくれるのです。

紫宸殿には、天皇の御座「高御座(たかみくら)」と、皇后の御座「御張台(みちょうだい)」が展示されています。実際、大正天皇や昭和天皇は、この京都御所で即位の大礼を行いました。現在の今上天皇は、この高御座を、東京の皇居へ運び、即位の大礼を行い、そのあと京都へ戻したということです。そういえば、なんか狭苦しい箱のようなところに両陛下それぞれで入ってらっしゃったような映像を、テレビで見た記憶がうっすら残っております。

紫宸殿正面の両端に、橘と桜の木があります。今の季節には当然、桜が咲いていないので、写真に撮ってこなかったと夫は申すのですが、クイズなどで、どっちが橘で、どっちが桜か、などという問題がありそうでしょう。女性の皆さんは、知っていますね。3月のお雛祭りの雛壇で見ているでしょう。問題は、言い方にあるんですね。向かって左にあるのですが、「右近の橘」、向かって右が、「左近の桜」と言います。

清涼殿は、天皇の日常の御生活の場、いわゆるプライベートルームですね。源氏物語、第一帖の「桐壺」の舞台にもなっております。後宮と総称されておりますが、これは七殿五舎(しちでんごしゃ)と言いまして、紫宸殿や清涼殿の後方に位置して、主に天皇の后妃が住まわれ、后妃以外にも東宮やその妃、また親王・内親王などが住まわれる殿舎があるのです。七殿は五舎より格上で、それぞれ身分相応に与えられたのでしょう。

こちらは、一般公開のルートには入っていないのでしょうけれど、「桐壺」というのは、この七殿五舎の、五舎、昭陽舎(しょうようしゃ)・淑景舎(しげいしゃ)・飛香社(ひぎょうしゃ)・凝華舎(ぎょうかしゃ)・襲芳舎(しほうしゃ)のなかの一つ、淑景舎の別名なんです。壺、すなわち建物の壺庭に桐の木を植えてあったことから、「桐壺」と呼ばれたということです。

内裏の図を見れば、一目瞭然なのですが、この桐壺が、内裏の西南にある清涼殿から、最も遠い東北隅に位置しているのです。こちらを帝が行ったり来たり、行ったり来たりしたものですから、他の女御や更衣たちの嫉妬を買い、光源氏の実母、桐壺の更衣がいじめにあい、気を使って、病気になり、亡くなってしまうんですね。ちなみに、弘徽殿は、清涼殿のすぐ東北にあり、やはり近いですね。

人の死とセックスでお話を盛り上げるしかない現代の小説は、この平安時代に書かれた紫式部の源氏物語から始まっていたのです。わたしもいっぱい影響を受けました。人の多いところは苦手なんですけど、ぜひ、来年の春には、京都御所へ出かけてみたいと思います。

トロフィーのご用命はトロフィー工房まで。

宜秋門

承明門

清涼殿

御内庭

9 comments to 秋の京都御所

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