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ふみの日

トロフィー工房のhirominです。

本日、7月23日は、ふみの日です。7月は「文月(ふみづき)」、23日は「ふみ」と読むことから、1979年、手紙文化の振興を図ることを目的として、当時の郵政省が制定しました。

昨今の携帯電話の世の蔓延りを考えますと、手紙文化は明らかに衰退していると言わざるを得ませんが、別に、わたしはそういうことを憂いではおりません。なんでも二面性があって、携帯電話には携帯電話の、手紙には手紙の、それぞれいいところ、悪いところがあると考えているわけで、無理からお手紙を書くことをおススメめするような説教くさいひとではありません。

というより、こんなくそ?暑いときに、恋文のお話もどうかと思いましたが、本日ご紹介する恋文を書いた方のお相手が、文(ふみ)さんと言うので、ふみの日にちなんで、文豪、芥川龍之介(1892年(明治25年)3月1日 – 1927年(昭和2年)7月24日)のラブレターをご紹介することにしましょう。

芥川龍之介は、知る人ぞ知る「手紙魔」であります。その数2000通ぐらいと言いますから、やはり、だいぶ、さびしがり屋さんだったのですかね。誰かに依存しないといられないという心情がこのおびただしい手紙の数からでも伺えます。龍之介に、いまの携帯電話を持たせたら、一ヶ月どれぐらい使うのでしょうか。10万円?ぐらいで済むのでしょうか。かけてこられる方は迷惑ですね。

このように、師匠、夏目漱石宛、親友、菊池寛宛は、もちろん、いろんな人に手紙を書いたわけですが、そういうひとたちへの文語調でかたぐるしい手紙と、この文さん宛のラブレターは、全然違うのですね。今でいうEメールで使うような文で、絵文字なんかがあれば、きっと使ったと思いますよ。

以前、テレビでも、スマップ香取信吾君のスマステーション(テレビ朝日)だったかな。紹介されていたのを、わたしは見たことがあります。原文はネットでも簡単に検索できます。

大正5年8月15日付 一の宮町海岸一宮館にて~現代語訳版~

(略)文ちゃんを貰いたいと言うことを、僕が兄さんに話してから、何年になるでしょう。(こんな事を文ちゃんにあげる手紙に書いていいものかどうか 知りません。)貰いたい理由は、たった一つあるきりです。そうして、その理由は僕は、文ちゃんが好きだと言うことです。(略)僕には、文ちゃん自身の口から、かざり気のない返事を聞きたいと思っています。繰り返して書きますが、理由は一つしかありません。僕は文ちゃんが好きです。それだけでよければ、来て下さい。

ここで、「兄さん」というのは、龍之介のともだちで、山本喜誉司というひとがいて、この方の姉の娘が、この塚本文子さん。当時16歳で、女学生でした。龍之介は、24歳。東京帝国大学卒業後、海軍機関学校教官として、英語の教師をしていました。8つの年齢差です。家通しのお付き合いもあって、幼いころから顔見知りだったわけです。龍之介は目をつけるという言い方はいやらしいかな。心惹かれるものがあったんでしょうな。ずっと好意をもっていて、それで、初めて書く手紙が、恋文と言うよりかは、プロポーズですね。「好き」を前半3回、後半に繰り返し1回書いていますね。

大正6年11月17日付

二人きりでいつまでもいつまでも話していたい気がします。そうしてkissしてもいいでしょう。いやならばよします。この頃ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまいたい位可愛い気がします。嘘じゃありません。文ちゃんがボクを愛してくれるよりか二倍も三倍もボクの方が愛しているような気がします(略)

やがて、二人は結婚するんですが、その結婚一週間前。 

大正7年1月23日付

(略)文ちゃんは御婚礼の荷物を一しょに忘れずに持って来なければならないものがあります それは僕の手紙です 僕も文ちゃんの手紙を一束にして持っています あれを二つ一しょにして 何かに入れて 何時までも二人で大事にして置きましょう だから忘れずに持っていらっしゃい(略)今 これを書きながら 小さな声で「文ちゃん」と云って見ました 学校の教官室で大ぜい外の先生がいるのですが 小さな声だからわかりません それから又小さな声で「文子」と云って見ました 文ちゃんを貰ったら そう云って呼ぼうと思っているのです 今度も誰にも聞こえません 隣のワイティングと云う米国人なぞは本をよみながら居睡りをしています そうしたら急にもっと大きな声で文ちゃんの名を呼んで見たくなりました 尤も見たくなった丈で実際は呼ばないから大丈夫です 安心していらっしゃい。唯すぐにも文ちゃんの顔が見たい気がします ちょいとでいいから見たい気がします それでそれが出来ないからいやになってしまいます

いわゆる、「ドン引き」というものですね。十代の小娘が、8つも年上の男性からこんなラブレターもらったら、騙されますか。少なくともわたしは騙されました。わたしが、これを初めて読んだのが二十歳前後のころだったろうから、むつかしい小説の文章とは違っていたこともあり、すごくいいと思いました。「手紙を持っていらっしゃい」のところは、それがあれば一生幸せになれると、素直に思いました。

今のひとなら、若くったって、例えばうちの大学生の娘だって、こんな文章に騙されたりしないんでしょうね。「手紙を持っていらっしゃい」は、恥ずかしいから、他には見せるなということでしょう。要するに、龍之介が恋する自分の世界に酔っていただけなんです。結婚当初、文子が東京田端の芥川家に、龍之介は横須加に住んで、しばらく別居だった後、二ヶ月ほどして、龍之介は、文子と、なぜか伯母、フキを呼び寄せて鎌倉で新居を持ちます。結局、結婚したが最後、文学にはあまり興味のない文子に不満を持ち、実質育ての親に当たる伯母に逃げ、数々の不貞、挙句の果ては36歳の自殺ですから、龍之介は最低を絵に描いたような夫です。

龍之介の晩年、彼の療養で鵠沼(神奈川)に住んだ頃は、少し二人の仲は戻ったようです。自殺のときは、文子宛の遺書もありました。こんな最低男を、文子は生涯愛していたのでしょうか。よく続きましたね。龍之介の棺には、文子が書いた手紙を入れたそうです。文子が亡くなったとき、そのお棺には、子どもたちが、龍之介の手紙と、写真を入れたということです。お金でもなく、子どもでもなく、このラブレターだったんじゃないかなぁ。二人が生涯添い遂げられたのは。いろんな考え方があると思うんですけど、わたしはそう思います。

最後に余談ですが、わたしも、夫とラブレターと言えるかどうかはわかりませんが、結婚前は手紙を交わしました。わたしが出した手紙は、今でも束にして押し入れにしまってありますが、夫からもらったものは、どこへ行ったのかわかりません。夫が捨てたのかもしれないし、わたしが紛失したのかもわからないんですけど、そんなことを問いただす気はいまさらないです。ただ、わたしが出した手紙を、ちょっとのぞいてみると、結婚する相手だけあって、比較的リラックスして、自分をそのまま書いておりますし、ときどきみる厭な夢のお話などを書いてるんですね。なかなか、恥ずかしいんですけど、これに対して夫が何と書いてきたのか、全然覚えてもいないので、残念です。

手紙。自分に酔っているだけの妄想だっていいじゃないですか。なんなら自分宛に書けばいいんですね。たまには自分をゆっくり見つめなおすために、真剣に手紙を書いてみるのもいいかなと思います。

トロフィーのご用命はトロフィー工房まで。

9 comments to ふみの日

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