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野坂昭如 『火垂るの墓』

トロフィー工房のhirominです。 8月6日は、広島平和記念日です。毎年、この平和記念式典の絵はテレビで映し出され、わたしは戦後生まれで、子どものころからずっと見るけど、戦後66年を経ても、悲願の平和が成就するにはほど遠く、ただただ虚しく、重苦しい一日であります。 1945年米軍エノラ・ゲイ号が、広島市上空で原子爆弾「リトルボーイ」を投下、約25万人の生命が奪われました。その3日後、8月9日に長崎へ同原子爆弾「ファットマン」投下、約7万人の死亡者。8月15日、「忍びがたきを忍んで……」終戦となったわけです。 そして、今年3月、東日本大震災における福島第一原発事故を目の当たりにして、「核問題」を自分のこととして捉える、ほんの少しでも立ち止まって考える日なのではないかと思います。 先に書いたように、わたしは戦後生まれです。両親は戦前生まれなのですが、二人とも大阪の農家の出身なので、食べるものに困ったことはないと言って、そのことを安全牌として、あまり戦争の恐怖を持っていないせいか、わたし自身も、戦争のことはよくわからないのです。 戦争といえば、わたしが思い浮かべるのは、野坂昭如の『火垂るの墓』です。高校3年生のとき、担任が話題にしたことで、読んでみました。タイトルの「火垂る」をホタルと読むことに、一瞬戸惑いました。これは野坂氏の造語だということです。実際作品の中で、虫のホタルは、「螢」を使っていて、「火垂る」は、空襲の焼夷弾が落ちてくる(火の玉が垂れる)様子をイメージしているのでしょうか。いずれにしても、虫の螢は、清太と節子の儚い命のメタファーということは言えるでしょう。野坂氏の文章があまり上手でないせいか、わたしの読解力がないからなのか、「戦争は人間を極限状態に陥れる」みたいな漠然とした感想を持った記憶があります。 のちに、アニメーション化されて、高畑勲監督のそれを見たときの方が衝撃的でした。1988年の製作になっているけれど、わたしが見たのはもっと後で、テレビで放映されてからだと思います。これも毎年というほど、終戦記念日には放映されるんだけど、一度見てからは、あまりにエグイのを見るのが厭で、何年間か見なくなりました。実写でドラマ化もされましたけど、やはりこの高畑勲監督の『火垂るの墓』が一番原作に忠実であるようにおもいます。というか、これだけの極限状態を実写化するのは不可能ということなのでしょう。 「防空壕」は、わたしにとっては未知のものですね。西宮の伯母の家を出て、いや、ほとんど追い出されるようにして、清太の節子のふたりは、その伯母の家の裏の防空壕で生活するんです。まるで、子どもの冒険遊びやおままごとするように、最初ははしゃいで喜ぶんだけど、たちまち問題点が発覚します。「はばかりはどこにすんのん?」と節子の問いかけに、「ええやんかどこでも、兄ちゃんがついてったるさかい」と清太。 最初に小説を読んだ高校生のころは、これがどういうことなのか、まだまだ他人事で、なにもわかっていなかった、つくづく未熟だったと、いまさらながら思います。長年生きていると、悲しい、辛い経験ばかりが増えていくたびに、清太と節子の防空壕を住処とする生活がリアルにわかるようになってきたんですね。これは、昔のことではない。戦争時のときだけのことではない。いま、だれにでも起こりうること。 東日本大震災で、強奪や暴動が起きなかったことについて、世界からご称賛いただいたけど、東北の人は、普段から風土や自然に鍛えられて強いし、、田舎は近所どうしの絆が強いという傾向があるから、直そういうことにならなかっただけで、もっともっと長引けばそんなこといつまで言っていられるのか。小説の中の清太は、二人が生きていくために、空襲のどさくさに紛れて、略奪、窃盗をくりかえし、ある日農夫に見つかって恐い目に合います。そういうことは、どうでしょう。とくに、自分のことしか考えていないひとが多い都会だったら。  とりとめもなく、そういうことをおもいつつ、「NO,WAR」をこころに刻む今日です。野坂昭如氏(1930年10月10日-)は、今年のお誕生日で81歳。一度脳梗塞で倒れられて、現在もリハビリしながら、執筆しているということです。サントリーのCM「ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか。みんな悩んで大きくなった……」印象に残っています。その破天荒なパーソナリティを最後まで貫き通してほしいと思います。お元気で、長生きしてください。 トロフィーのご用命はトロフィー工房まで。