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「稲村の火」~問われるリーダーシップの真価~

トロフィー工房のhirominです。 3月11日、東日本大震災の発生から、早一ヶ月が過ぎようとしています。止まぬ余震、長引く避難生活、いまだ救い出せない安否不明者、東京電力福島原子力発電所から放射能物質が漏れ出すなど、予断を許さない状況が続いております。 わたしの職場の同僚にも、宮城県松島出身がおりまして、発生直後、ふるさとの親族とは一切連絡が途絶えました。松島というと、日本三景と称された景勝地です。年を取って、そろそろ田舎へ帰ろうかなと思っていた矢先のこの地震。お家の2階から魚釣りができると聞いたとき、すでに報道などの悲惨な絵を見ていたので、一瞬“絶望”ということばが頭をよぎりました。 一口に死傷者2万人と言ってしまえば、それまでです。でも、自分の親が、子どもが、さっきまでそこで笑っていた友人がそういうことになったとしたら、そんな合計数量で受け止められるようなことではありません。同僚のご親族だって、彼本人が不義理だから連絡してこないだけ。人の命そこまで儚くないと思えてなりませんでした。一週間後、お家は崩壊したけど、ご両親も、ご親族全員無事ということを伝えてきました。 「これからがたいへんやけどな。ちょっと気持ちが楽になった」と、その同僚は言いました。「よかったなぁ。もう少し落ち着いたら、顔みせてあげないとあかんな」と、わたしが言うと、「あんな怖いところ、もう帰りたくない」と彼は言いました。松島は、近くに女川原発があって、彼はそのことを言ったので、わたしはまた、そこで、言葉を失くしました。 日本は地震大国。日本人なら、ある程度は、想定内です。災害の恐ろしさ、すばやい判断と行動力、助け合うことの大切さを説く物語として、「稲村の火」をご存知でしょうか。2004年スマトラ沖地震・津波をきっかけに注目され、アジアの国々でもたくさん翻訳されました。日本では、津波防災の普及や啓発に役立つ教材として、紙芝居や人形劇、小学校の副読本などに掲載されました。わたしは、個人的に版画が好きなので、この物語の影絵を見たことがあります。いずれもネットで、安易にダウンロードできるのですが、どれも津波の絵は迫力のあるものに仕上がっています。 原作は、「耳なし芳一」や、「雪女」など、怪談で知られている、小泉八雲ことラフカディオ・ハーン氏(1850-1904)です。「仏の畠の中の落穂」という短編集の中の “A Living God(生き神様)”というおはなしです。その後、小学校教員であった中井常蔵氏により小学生向けに「稲むらの火」と題して書き改められました。 物語のモデルとなった人物、浜口梧陵とは、現在のヤマサ醤油㈱の七代目当主に当たる人です。この方は、日本が誇れる名実ともに立派なリーダーだったんですね。ヤマサといえば、SMAPの草なぎ剛くんのCMでもおなじみです。古くは芦屋雁之助さんのCM「♪コンブ、コンブ、コンブポンズ、昆布をぎょうさんつこてるね、ヤマサ♪」もなつかしいですね。我が家も、ポン酢はヤマサの昆布ポン酢を愛用しており、それ以外は一切使ったことがなく、いい味を出していますね。 江戸時代末期の1854年、安政南海地震による大津波が広村(いまの和歌山県広川町)をおそいました。このとき、村の浜口梧陵という男性が、稲わらを つみあげた「稲むら」に火をつけ、暗やみの中で逃げおくれていた村人を、安全な高台へとみちびきました。災害後も、梧陵は自分の財産を投じて村人たちのために住まいを建て、堤防をつくるなど村の復興に力をそそぎました。その堤防は1946年の昭和南海地震のときに、村の大部分を津波から守りました。 この方が優れたリーダーである所以は、ちょっと小金を持っていれば自分が偉いと勘違いしているトップも多い中で、被災者に財産を投じたということだけでもすごいことなんだろうけど、新たなる将来の津波減災のために、4年間かけて、堤防を作ることで、被災者の雇用を生んだということなんですね。今、東日本大震災の被災者が苛まれている最大の不安は失職しているということだと思うんです。被災者自身、自ら働くことができたなら、こんなにまで悲惨な被害状況だけど、復旧はかなうと思うのです。 さらに、このとき作られた堤防が、次の震災に効力があったというのですから、まさに偉業と言わざるを得ません。東日本大震災も、この「稲村の火」に学んで、必ず復旧はかないます。なにしろ世界最大級だったんですから、時間はかかります。あわてることなんかない。どんなに時間がかかろうと、その間ずっとみなで支えていくんですね。国は、こんなときこそ、リーダーシップの真価が問われることを心得てほしいと思います。 そして、同僚には、ぜひ、ふるさとへ帰ってもらいたいと思います。間違ってもハンサムとは言えないその顔(ご両親には失礼だけれども)でも、ご両親が見たとき、それは理屈抜きで、ご両親が生きていく力になるからです。わたしには十分想像できます。 トロフィーのご用命は、トロフィー工房まで。