2010年10月
« 9月   11月 »
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31  

アーカイブ

最近のコメント

サディスティック・ミカ・バンド

トロフィー工房のhirominです。 昨年は、わたしが子どものころから、ずっと親しんできたミュージシャンが3名亡くなりました。当ブログでも書きましたが、忌野清志郎さん。PP&Mのマリー・トラヴァースさん。そして、そのラストは、トノバンこと加藤和彦さんです。享年63歳、衝撃的な死(自殺)を遂げて、本日、10月16日、一年になります。 「帰ってきたヨッパライ」は、当時まだ結婚せず、実家にいた叔父の部屋に遊びに行って、聞いたのかな。音楽などには何の興味も持たない厳しい両親とは違い、叔父は自由奔放な人で、大きなステレオが部屋にあって、それで聞かせてもらったと思います。子ども心にわくわくしましたね。あれが偉大な加藤和彦というひとだとは、まだ全然知らなかったころのことです。 フォーク・クルセダーズは、日本最古のバンドになるのでしょうか。それ以前は、わたしとしては記憶がありません。「悲しくてやりきれない」「あの素晴らしい愛をもう一度」も、よく歌いましたね。その後、トノバンは、サディスティック・ミカ・バンドを結成します。 サディスティック・ミカ・バンドは、メンバーは、入れ代わり立ち代わりしていますが、トノバン、福井ミカさんは、トノバンの初代夫人ですね。つのだひろさん、高中正義さん、高橋幸宏さん、小原礼さんと錚々たるひとたちで、アルバム「黒船」は、イギリスでも発売され、高評価を受けたということです。 このことは、非常に有名ですが、わたしはあまり知りません。ただ、70年代台頭してきたミュージシャンやバンドは、何かしらトノバンと関わっているとことは少なくなく、わたしが知っているだけでも書ききれないほどたくさんあります。わたしが、ひたすら追っかけをしていたチューリップもそのひとつです。東芝EMIでレコード会社がいっしょで、サディスティック・ミカ・バンドのメンバーには、非常にかわいがってもらったと聞いています。 つのだひろさんは、ずっとチューリップのご意見番です。現在でも交流があって、姫野達也さんのソロライブ(東京)には、顔を出してくれます。それから、高中正義さんと安部俊幸さんは、同じマンションの上下の階に住んでいたといいますから、ギターを教えてもらったんじゃないかな。そして、なんといっても、ミカ夫人に、さんざんお世話になったようです。チューリップは九州出身で、東京に出てきて、みんな貧しかったんですね。「心の旅」が空前のヒットをしてからでも、楽器や移動の車などにお金がかかり、みんな貧相な格好をしていたようです。そんな時、加藤邸に遊びに行って、ご馳走になったり、古着をもらったりしていたんですね。実際、シングル盤「一人の部屋」のジャケットに写っている姫野さんの黄色のシャツは、ミカ夫人からもらった女物のシャツをなのだそうです。 サディスティック・ミカ・バンドは、偉大なバンドには違いないのだけど、こういうおもしろエピソードを聞くと、当時のバンド仲間のほのぼのとした楽しい雰囲気が伝わってきて、親しみがわきますね。もう少し、いや、もっと聞きたかったな。日本のバンドのすべては、サディスティック・ミカ・バンドから始まったのです。日本の音楽シーンに無二のひと。加藤和彦さん。合掌。 トロフィーのご用命はトロフィー工房まで。