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24時間テレビ

トロフィー工房のトロです

仲間内で 毎年恒例(3年目)の 24時間テレビの募金に行ってきました

難波で集合して 読売テレビ(京橋)まで歩いていくというものです

今年 友人が持ってきた募金箱が 大きく!そして重かったのでビックリしました

私は 24時間募金場でもらえる 牛乳パック小 位の大きさの募金箱程度の大きさでしたが

その友人は 1年間職場の人の協力をえながら

募金をしておりました

毎年のごとく ゆっくりと 食べながら 店に寄ったり色々 探索しながら

歩いているので 1時出発で 到着は 6時でした

すっかり 空は明るくなっていました

みんなで 朝ごはんを食べて 帰宅の途へ

また来年も 募金に行きたいと思います

トロフィー工房  いつでも通販でトロフィー

レーザー印字・加工しております

信楽に行ってきました

トロフィー工房のおはぎです。

お盆休みは信楽に行ってきました。

高速道路は混むかも知れないので

下道で宇治から回って行きました。

今回の目的は陶芸教室で器を作る事

初めてなのでまったく解らなかったんですけど・・・

完成してもどんな仕上がりになるか想像が付きません??

さて一ヵ月後どんな作品が送ってくるか楽しみです。

近江肉の牛丼もなかなか美味しかったです。

あと滝を2ケ所で見ました。

一つはとても川幅が狭い所にあったのですが、

水量が多くてめちゃ力強かったです↑↑

鶏鳴の滝の上流なんですけど細い道を10分程

登って行くと凄まじい音の滝に癒し&パワーをもらえますよ↑↑

今でも耳に残ってマス ゴーゴーとね↑↑

     トロフィカップのご用命はトロフィー工房まで

お盆休み

トロフィー工房の トロです

お盆休みを 8月12日ー15日まで いただいておりました

今年のお盆は 近場で済まそうと

チョコチョコと出歩いてきました

大阪に出たこともあり まずは 工事の終わった大阪駅に行ってきました

駅の上にある 三越伊勢丹やら 色々ショップも変わってて どこにいるのか 迷子になるくらい

大幅に 改築されてて 屋上に出れば 北ヤードの開発や 南ゲートの 水時計に 目を奪われていました

とても暑かったので ビールでも飲もうと 阪神百貨店の屋上の

ビアガーデンに行ってきました

阪神戦を 観戦しながら ビールに枝豆!

とてもおいしかったです

試合も阪神が4-1で 勝利し 美酒に酔いしれましたが

飲み放題・食べ放題のため ガンガンに 食べ過ぎて お腹がポッコリ と出てしまいました

トロフィー工房 いつで通販でトロフィー 印字も始めました

野坂昭如 『火垂るの墓』

トロフィー工房のhirominです。

8月6日は、広島平和記念日です。毎年、この平和記念式典の絵はテレビで映し出され、わたしは戦後生まれで、子どものころからずっと見るけど、戦後66年を経ても、悲願の平和が成就するにはほど遠く、ただただ虚しく、重苦しい一日であります。

1945年米軍エノラ・ゲイ号が、広島市上空で原子爆弾「リトルボーイ」を投下、約25万人の生命が奪われました。その3日後、8月9日に長崎へ同原子爆弾「ファットマン」投下、約7万人の死亡者。8月15日、「忍びがたきを忍んで……」終戦となったわけです。

そして、今年3月、東日本大震災における福島第一原発事故を目の当たりにして、「核問題」を自分のこととして捉える、ほんの少しでも立ち止まって考える日なのではないかと思います。

先に書いたように、わたしは戦後生まれです。両親は戦前生まれなのですが、二人とも大阪の農家の出身なので、食べるものに困ったことはないと言って、そのことを安全牌として、あまり戦争の恐怖を持っていないせいか、わたし自身も、戦争のことはよくわからないのです。

戦争といえば、わたしが思い浮かべるのは、野坂昭如の『火垂るの墓』です。高校3年生のとき、担任が話題にしたことで、読んでみました。タイトルの「火垂る」をホタルと読むことに、一瞬戸惑いました。これは野坂氏の造語だということです。実際作品の中で、虫のホタルは、「螢」を使っていて、「火垂る」は、空襲の焼夷弾が落ちてくる(火の玉が垂れる)様子をイメージしているのでしょうか。いずれにしても、虫の螢は、清太と節子の儚い命のメタファーということは言えるでしょう。野坂氏の文章があまり上手でないせいか、わたしの読解力がないからなのか、「戦争は人間を極限状態に陥れる」みたいな漠然とした感想を持った記憶があります。

のちに、アニメーション化されて、高畑勲監督のそれを見たときの方が衝撃的でした。1988年の製作になっているけれど、わたしが見たのはもっと後で、テレビで放映されてからだと思います。これも毎年というほど、終戦記念日には放映されるんだけど、一度見てからは、あまりにエグイのを見るのが厭で、何年間か見なくなりました。実写でドラマ化もされましたけど、やはりこの高畑勲監督の『火垂るの墓』が一番原作に忠実であるようにおもいます。というか、これだけの極限状態を実写化するのは不可能ということなのでしょう。

「防空壕」は、わたしにとっては未知のものですね。西宮の伯母の家を出て、いや、ほとんど追い出されるようにして、清太の節子のふたりは、その伯母の家の裏の防空壕で生活するんです。まるで、子どもの冒険遊びやおままごとするように、最初ははしゃいで喜ぶんだけど、たちまち問題点が発覚します。「はばかりはどこにすんのん?」と節子の問いかけに、「ええやんかどこでも、兄ちゃんがついてったるさかい」と清太。

最初に小説を読んだ高校生のころは、これがどういうことなのか、まだまだ他人事で、なにもわかっていなかった、つくづく未熟だったと、いまさらながら思います。長年生きていると、悲しい、辛い経験ばかりが増えていくたびに、清太と節子の防空壕を住処とする生活がリアルにわかるようになってきたんですね。これは、昔のことではない。戦争時のときだけのことではない。いま、だれにでも起こりうること。

東日本大震災で、強奪や暴動が起きなかったことについて、世界からご称賛いただいたけど、東北の人は、普段から風土や自然に鍛えられて強いし、、田舎は近所どうしの絆が強いという傾向があるから、直そういうことにならなかっただけで、もっともっと長引けばそんなこといつまで言っていられるのか。小説の中の清太は、二人が生きていくために、空襲のどさくさに紛れて、略奪、窃盗をくりかえし、ある日農夫に見つかって恐い目に合います。そういうことは、どうでしょう。とくに、自分のことしか考えていないひとが多い都会だったら。 

とりとめもなく、そういうことをおもいつつ、「NO,WAR」をこころに刻む今日です。野坂昭如氏(1930年10月10日-)は、今年のお誕生日で81歳。一度脳梗塞で倒れられて、現在もリハビリしながら、執筆しているということです。サントリーのCM「ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか。みんな悩んで大きくなった……」印象に残っています。その破天荒なパーソナリティを最後まで貫き通してほしいと思います。お元気で、長生きしてください。

トロフィーのご用命はトロフィー工房まで。

トランスフォーマー 3D

トロフィー工房の トロです

週末 土曜日に たまには映画でも見ようと

映画館に行ってきました

以前 予告でみて とても迫力があったので

前売りチケットを購入にして トランスフォーマー3 を観てきました

今まで 3Dの映画を鑑賞してきた中で

圧倒的に 映像に迫力がありました

CG映像とは思っていても

画像の リアル感に圧倒されるばかりでした

宇宙のシーンや ロボット同士の対決!

童心に戻った感覚で単純に 楽しむことができました

個人的な意見では 宇宙ものの 映画は3Dで見ると 映像についつい引き込まれてしまいます

また 面白い映画を観に行きたいものです

トロフィー工房 いつでも通販でトロフィーを販売しております

夏休み

トロフィー工房のhirominです。

それは すばらしい なつの あるひ

それは すばらしい なつの あるひ

ぼくは むしかごと あみを もって

とんぼを つかまえに いったけれど

とんぼは つかまらず

かわに おちた

それは すばらしい なつの あるひ

ぼくは つりざおと バケツを もって

さかなを つりに いったけれど

さかなの かわりに

くつがつれた

おひさまの ひかりが わらってた

みどりの はっぱも わらってた

なんだか ぼくも わらってしまった

とても すばらしい なつの あるひ

それは すばらしい なつの あるひ

ぼくは じてんしゃで おばさんの うちに

すいかを もらいに いったけれど

タイヤが パンクで おして かえった

それは すばらしい なつの あるひ

ぼくは むしとりに やまへ でかけた

とつぜんの あめに びしょぬれに なった

そのあと おおきな にじが できた

おひさまの ひかりが わらってた

みどりの かえるも わらってた

なんだか ぼくも わらってしまった

とても すばらしい なつのあるひ

詩:新沢としひこ

「それは すばらしい なつの あるひ」は、絵本があるのはもちろん、この詩には曲が付いていて、息子が幼稚園の発表会でうたいました。ただ、“すばらしい”のではなくて、“それは”が付いている、作者にとって、特別の日なんですね。

子どもたちは、夏休み真っ盛り。戻れない時ではあるけれど、子どものころの夏休みは、わたしのこころのなかで、いつまでもキラキラ輝いている宝物です。高級リゾートや遊園地へ行ったとか、おいしいものを食べたとか、そういうことではなく、日常のなにげない、どこにでもある夏の原風景です。

夏は、昼食が済むと、おとなたちはお昼寝するんです。わたしは眠れなくて、騒いだりして、よく怒られました。庭のビニールプールに入ったり、おままごとしたりして、おとなたちが起きてくるのを待つんだけど、その待っている時間が長くて、つまらなかったなあ。やっとおとなたちが起きてくると、サイダーやカルピスを入れてくれたり、スイカなど食べるんです。

見渡せば、一面青々と広がる田んぼ。カエルの大合唱。蝉の声もうるさかったなあ。カブトムシやクワガタは幻。まず自分で見つけたことなし。父が見つけて教えてくれたときはびっくり。蝉捕りだっていつも逃げられてばっかり。フナだったかな。近所の年上の男の子たちの横で、いっしょに魚釣りさせてもらって、わたしが釣ったときのみんなのおどろいた顔。

夏は夜。清少納言の「枕草子」とはちょっとニュアンスが違うかもしれないけれど……昼間は忙しい父がしてくれた花火。その光。お祭りの金魚すくいや、ヨーヨー、リンゴ飴。盆踊りは、浴衣を着せてもらいました。わたしは、その蝶の小柄模様の浴衣や帯がお気に入りで、ちょっぴり自慢でした。子どもには時間制限があって、お家に帰って寝床についても、いつまでも鳴り響いていた太鼓や音頭。

おとなには、夏休みはなくて、あっても少しでさびしいですけど、でも夏休みって、自分が子どものとき、おとなたちが演出してくれていたということ。ようするに、自分が子どものときのおとなたちも夏休みはなかったということ。おとなになっても、夏休みを楽しむのはいいとは思うけど、おとな自身のことばかりで、子どもたちは楽しめているのか心配になります。

“それは”おとなが、特別がんばったり、かまえたりしなくていいことなのです。お金は、必要最低限。過保護になるほどに与えないことです。子どもは、教えなくても、生まれながらにして遊ぶことを知っているものです。こどもは、遊んで、失敗して、学んでそういうことを宝物にして育ってゆくものなのです。どんなに忙しくても、どんなに煩わしくて面倒でも、子どもの遊びを、そばでゆっくり見守ることのできる、そういうおとなでいたいなあ、と思います。

トロフィーのご用命はトロフィー工房まで。

来週から8月ですよ

トロフィー工房のおはぎです。。

最近は暑さが、厳しかったり涼しくなったり・・・

クーラーがいるような、我慢できるような・・・

去年よりは、節電出来そうですよね↑↑↑

でも、残暑がきつかったら、しんどいですけど・・・

今、凄い夕立で雷鳴り鳴り

『こわーい』と言っても誰も知らん顔かな??

本当は大して怖くないんだけど。。

会社の近くの田んぼの緑がとても綺麗なのでぱパチリ!!

そろそろお盆の予定を立てないとね!

今年も近場の温泉でも探そうかなです。

           トロフィー・カップはトロフィー工房まで

プロ野球 後半戦スタート

トロフィー工房の トロです

プロ野球も 後半戦!

しかし今年は スタートが4月に入ってからでしたので

ちょうど試合数も半分といったところで

これからが セリーグ・パリーグともに

上位が走っている状況です

セは ヤクルト

パは ソフトバンク・日本ハム

後半戦は 2位以下のチームの頑張りで

盛り上がる ペナントレースになってほしいものです

特に 楽天イーグルスを応援いたします

トロフィー工房 いつでも通販でトロフィー

またしても・・・バーベキュー☆

どうも!

こんにちは~トロフィー工房のフィーです。

先々週?くらいの休日にまたバーベキューをしました!

暑すぎるせいか、人は少なめでした・・。

日陰がないので、パラソルをもっていきましたが

あまり意味がなく・・・テントがほしいな~っと思いました。

バーベキューをしていたら、かわいいワンコが

遊びに来てくれました~!!

人なつこくて可愛かったです♥♥

暑い中、みんなでボールを蹴ったりして楽しい時間でした(*´∀`*)

今回も暑かったけど、やっぱりバーベキューは楽しいし、

次回は是非テントを買ってバーベキューをしたいです☆

通販でいつでもトロフィー ☆ トロフィー工房

ふみの日

トロフィー工房のhirominです。

本日、7月23日は、ふみの日です。7月は「文月(ふみづき)」、23日は「ふみ」と読むことから、1979年、手紙文化の振興を図ることを目的として、当時の郵政省が制定しました。

昨今の携帯電話の世の蔓延りを考えますと、手紙文化は明らかに衰退していると言わざるを得ませんが、別に、わたしはそういうことを憂いではおりません。なんでも二面性があって、携帯電話には携帯電話の、手紙には手紙の、それぞれいいところ、悪いところがあると考えているわけで、無理からお手紙を書くことをおススメめするような説教くさいひとではありません。

というより、こんなくそ?暑いときに、恋文のお話もどうかと思いましたが、本日ご紹介する恋文を書いた方のお相手が、文(ふみ)さんと言うので、ふみの日にちなんで、文豪、芥川龍之介(1892年(明治25年)3月1日 – 1927年(昭和2年)7月24日)のラブレターをご紹介することにしましょう。

芥川龍之介は、知る人ぞ知る「手紙魔」であります。その数2000通ぐらいと言いますから、やはり、だいぶ、さびしがり屋さんだったのですかね。誰かに依存しないといられないという心情がこのおびただしい手紙の数からでも伺えます。龍之介に、いまの携帯電話を持たせたら、一ヶ月どれぐらい使うのでしょうか。10万円?ぐらいで済むのでしょうか。かけてこられる方は迷惑ですね。

このように、師匠、夏目漱石宛、親友、菊池寛宛は、もちろん、いろんな人に手紙を書いたわけですが、そういうひとたちへの文語調でかたぐるしい手紙と、この文さん宛のラブレターは、全然違うのですね。今でいうEメールで使うような文で、絵文字なんかがあれば、きっと使ったと思いますよ。

以前、テレビでも、スマップ香取信吾君のスマステーション(テレビ朝日)だったかな。紹介されていたのを、わたしは見たことがあります。原文はネットでも簡単に検索できます。

大正5年8月15日付 一の宮町海岸一宮館にて~現代語訳版~

(略)文ちゃんを貰いたいと言うことを、僕が兄さんに話してから、何年になるでしょう。(こんな事を文ちゃんにあげる手紙に書いていいものかどうか 知りません。)貰いたい理由は、たった一つあるきりです。そうして、その理由は僕は、文ちゃんが好きだと言うことです。(略)僕には、文ちゃん自身の口から、かざり気のない返事を聞きたいと思っています。繰り返して書きますが、理由は一つしかありません。僕は文ちゃんが好きです。それだけでよければ、来て下さい。

ここで、「兄さん」というのは、龍之介のともだちで、山本喜誉司というひとがいて、この方の姉の娘が、この塚本文子さん。当時16歳で、女学生でした。龍之介は、24歳。東京帝国大学卒業後、海軍機関学校教官として、英語の教師をしていました。8つの年齢差です。家通しのお付き合いもあって、幼いころから顔見知りだったわけです。龍之介は目をつけるという言い方はいやらしいかな。心惹かれるものがあったんでしょうな。ずっと好意をもっていて、それで、初めて書く手紙が、恋文と言うよりかは、プロポーズですね。「好き」を前半3回、後半に繰り返し1回書いていますね。

大正6年11月17日付

二人きりでいつまでもいつまでも話していたい気がします。そうしてkissしてもいいでしょう。いやならばよします。この頃ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまいたい位可愛い気がします。嘘じゃありません。文ちゃんがボクを愛してくれるよりか二倍も三倍もボクの方が愛しているような気がします(略)

やがて、二人は結婚するんですが、その結婚一週間前。 

大正7年1月23日付

(略)文ちゃんは御婚礼の荷物を一しょに忘れずに持って来なければならないものがあります それは僕の手紙です 僕も文ちゃんの手紙を一束にして持っています あれを二つ一しょにして 何かに入れて 何時までも二人で大事にして置きましょう だから忘れずに持っていらっしゃい(略)今 これを書きながら 小さな声で「文ちゃん」と云って見ました 学校の教官室で大ぜい外の先生がいるのですが 小さな声だからわかりません それから又小さな声で「文子」と云って見ました 文ちゃんを貰ったら そう云って呼ぼうと思っているのです 今度も誰にも聞こえません 隣のワイティングと云う米国人なぞは本をよみながら居睡りをしています そうしたら急にもっと大きな声で文ちゃんの名を呼んで見たくなりました 尤も見たくなった丈で実際は呼ばないから大丈夫です 安心していらっしゃい。唯すぐにも文ちゃんの顔が見たい気がします ちょいとでいいから見たい気がします それでそれが出来ないからいやになってしまいます

いわゆる、「ドン引き」というものですね。十代の小娘が、8つも年上の男性からこんなラブレターもらったら、騙されますか。少なくともわたしは騙されました。わたしが、これを初めて読んだのが二十歳前後のころだったろうから、むつかしい小説の文章とは違っていたこともあり、すごくいいと思いました。「手紙を持っていらっしゃい」のところは、それがあれば一生幸せになれると、素直に思いました。

今のひとなら、若くったって、例えばうちの大学生の娘だって、こんな文章に騙されたりしないんでしょうね。「手紙を持っていらっしゃい」は、恥ずかしいから、他には見せるなということでしょう。要するに、龍之介が恋する自分の世界に酔っていただけなんです。結婚当初、文子が東京田端の芥川家に、龍之介は横須加に住んで、しばらく別居だった後、二ヶ月ほどして、龍之介は、文子と、なぜか伯母、フキを呼び寄せて鎌倉で新居を持ちます。結局、結婚したが最後、文学にはあまり興味のない文子に不満を持ち、実質育ての親に当たる伯母に逃げ、数々の不貞、挙句の果ては36歳の自殺ですから、龍之介は最低を絵に描いたような夫です。

龍之介の晩年、彼の療養で鵠沼(神奈川)に住んだ頃は、少し二人の仲は戻ったようです。自殺のときは、文子宛の遺書もありました。こんな最低男を、文子は生涯愛していたのでしょうか。よく続きましたね。龍之介の棺には、文子が書いた手紙を入れたそうです。文子が亡くなったとき、そのお棺には、子どもたちが、龍之介の手紙と、写真を入れたということです。お金でもなく、子どもでもなく、このラブレターだったんじゃないかなぁ。二人が生涯添い遂げられたのは。いろんな考え方があると思うんですけど、わたしはそう思います。

最後に余談ですが、わたしも、夫とラブレターと言えるかどうかはわかりませんが、結婚前は手紙を交わしました。わたしが出した手紙は、今でも束にして押し入れにしまってありますが、夫からもらったものは、どこへ行ったのかわかりません。夫が捨てたのかもしれないし、わたしが紛失したのかもわからないんですけど、そんなことを問いただす気はいまさらないです。ただ、わたしが出した手紙を、ちょっとのぞいてみると、結婚する相手だけあって、比較的リラックスして、自分をそのまま書いておりますし、ときどきみる厭な夢のお話などを書いてるんですね。なかなか、恥ずかしいんですけど、これに対して夫が何と書いてきたのか、全然覚えてもいないので、残念です。

手紙。自分に酔っているだけの妄想だっていいじゃないですか。なんなら自分宛に書けばいいんですね。たまには自分をゆっくり見つめなおすために、真剣に手紙を書いてみるのもいいかなと思います。

トロフィーのご用命はトロフィー工房まで。