春とエンドウ豆
トロフィー工房のBillie Jeanです。
さくらは……先週8日、新堀川通りを通ることがあって、すごくよくなっっていたので、うれしい気持ちになりました。夫に写真を撮ってきて、と頼んでいたのですが、昨日行ったので「時すでに遅かりし……」だったようで、来年まで、わたしが生きていたら、ぜひ。
新堀川通りは、上を走る阪神高速8号京都線が、暗くして、うっとうしかったのですね。あきらかにまちがっているとおもっておりました。そのさくらは、昨年植えられたということです。お米でもなんでもそうですが、日本人なら“お米”は知っているでしょけど「こしひかり」と「あきたこまち」の違いがわかるひとはそんなにいないでしょう。品種までわかるひとは、なかなかの通ですな。そういうわけで、あのさくらはなんというお名前なのか、知りませんが、ソメイヨシノではありません。もっと濃いピンクの色をしていました。そのかわいらしい花びらが、殺風景な通りに春を彩っておりました。
さて、わが家の玄関のプランターには、エンドウ豆が白の花盛りです。夫がそのお世話をいたしております。エンドウ豆といえば、「ジャックと豆の木」え?スゴイコジツケ!とおもわれるかもしれませんが、この時期少しあたたかくなって、ツルがどんどんのびるのびる、あっという間にみどりに生い茂っていくエンドウの木を見ていると、どうしても想像してしまうんだな……ジャックが登っているんじゃないかって。こう見えて、わたしはなかなかの演技派です。子どもに夜眠る前に読み聞かせたときのこと。まぬけで横暴な人食い鬼と、強かなジャックの息詰まる攻防。エンドウ豆を斧で倒して、その下敷きにして、見事、ジャックが人食い鬼をやっつけるところを、スリリングに読み上げますと、子どもはケラケラ笑って興奮して、余計に目が冴え、眠れなくしてしまったという失敗もありました。
わたしの実家は、兼業農家で、エンドウは、庭に一本ということではなく、畑の二、三十メートルの畝に何十筋も作っていたものですから、いったんエンドウ豆畑の中に入ると、どこにいるのか行方不明になります。いまのように携帯を使って呼び出すのが合理的でしょうけど、わたしが子どものころはまだなかったので、一筋一筋見ていき、それでも生い茂った木で奥が見えなくて見逃すこともあり、最悪大声で呼ぶしかありません。それぐらい、たくさんエンドウを作っていたのですね。
わたしが子どものころ、このエンドウのツルを吊るのが上手だと、母が褒めてくれました。ちょうどエンドウのツルを吊る時期は、春休み、甲子園で高校野球が開催されている時で、ラジオで、当時は、PL学園や浪商の試合を聞きながら、わたしは牛島くんが好きでしたが、その広大なエンドウ畑のエンドウのツルを片っ端から吊っていったのです。ですから、エンドウ作りにはちょっとうるさいわけで、わが家のプランターエンドウ。夫は手先は器用な方ですが、ツルの処理の仕方を知らないのか、なんじゃこれは?というほど、めちゃくちゃで笑ってしまいます。
それでも、もうすぐ、この白い花が実になり、一回、豆ご飯が炊けるくらい収穫できるといいなあとおもいます。その春の味一回でいいでしょう。エンドウ豆なんて、しょっちゅう食べたいとはおもいません。わたしの実家なら、もうこの時期は、食卓に朝昼晩と、豆の卵とじがおかずです。この収穫の時期は、畑に直接買いに来るほど好きなひともいるのですね。それだったら、わたしは、時を同じくして出てくる筍の方が好きです。
筍は、わたしが住む淀のお隣、長岡京市には、筍の名所があります。錦水亭の筍料理は有名ですね。長岡京市は、これから、天満宮や、ちょっと西に先、るり渓のつつじもたのしみです。錦水亭ではありませんが、ともだちがこの長岡京市に嫁いでおりまして、本場の筍をいただいたことがあります。筍の刺身は絶妙でした。そんな刺身にできるほど、立派なものではないのですが、やはり実家には藪がありまして、朝掘りとりたて筍を毎年食べます。
春の朝掘り筍を食べるには、あの灰汁取りがたいへんなのですね。二時間も米ぬかで……信じられない。わたしの家の隣の奥様などは、これをしなければ、春が来た気がしないと言いまして、上には上の偉い方がおりますものです。わたしは、この処理の仕方は知っていますけれども、一時間以上かかる作業をしてまで、食べ物にこだわることはありませんので、実家の母が、ここまで済ませてくれたものを、いただいてきて、家で煮たり、てんぷらにしたり、くずになれば筍ご飯にして食べます。
ここまで、春とエンドウ豆にまつわるあれこれを長々と書いてまいりました。春はあけぼのと言ったのは、清少納言ですが、わたしの生活では、あけぼののころは爆睡なので、わたしにとって春の“いとおかし”は、おぼろ月夜です。そんな霞深し夜は、大好きなひとと会席でも食べながら、「筍といえば、竹。竹といえば、かぐや姫……かぐや姫はどうして月へ帰っちゃったんだろうね?」なんておはなしをしたいです。そして、そのあとは、露天風呂にはいって、やわらかい風に吹かれて、寝る前は、谷川俊太郎さん詩でも読みながら、その大きな、高い慈愛に包まれて眠りたいです。
地球へのピクニック
ここで一緒になわとびをしよう ここで
ここで一緒におにぎりを食べよう
ここでおまえを愛そう
おまえの眼は空の青をうつし
おまえの背中はよもぎの緑に染まるだろう
ここで一緒に星座の名前を覚えよう
ここにいてすべての遠いものを夢見よう
ここで潮干狩りをしよう
あけがたの空の海から
小さなひとでをとって来よう
朝御飯にはそれを捨て
夜をひくにまかせよう
ここでただいまを云い続けよう
おまえがお帰りなさいをくり返す間
ここへ何度でも帰って来よう
ここで熱いお茶を飲もう
ここで一緒に坐ってしばらくの間
涼しい風に吹かれよう
詩: 谷川俊太郎
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