トロフィー工房のBillie Jeanです。 先月は、お仕事の方も、地域の自治会長としても、わたしは、いわゆる“ヤバイ”状態だったので、ブログはお休みさせていただこうと、自分で勝手に決めておりましたが、2月に入ってからは、1月よりかは、スケジュール的にも少しは余裕があったし、よって精神的にも、ずっと楽だったにもかかわらず、ズルズルと、本日に至るまでブログ更新をさぼってしまい、反省いたしております。 このブログに関して、わたしは決してモチベーションが低いわけではなく、高くもないのですが、「10分で書くように」とか、「短くてもいいから」などとご指摘を受けるのは、非常に心外であります。そんな事務作業でいいなら、毎日PCの前に長時間座っている人が、「今日はいい天気ですね」を、曜日ごと名前を変えて、更新すればいいわけで、毎日のご飯作りでもあるまいし、1回や2回お休みしたからってどうというのでしょう。人間、充電期間は必要です。ブログですもの。長期お休みがあったって、全然かまわないと思います。 というわけで、これからもわたしは、21世紀の清少納言気取りで、由なしごとを気まぐれに書いていきたいと思っております。本日は、被災地のお話です。3月11日、悲しみを新たにする日を前にして、娘が、大学の斡旋で、被災地、岩手県は宮古へボランティアに行ってまいりました。わたし自身は、東北について、最も被害が深刻であると考えられる、福島へは高校の修学旅行で行ったきり、岩手に行った経験はありません。学生のころ読んだ宮沢賢治の作品から、その厳しい風土、環境を想像するのが、わたしの岩手に関する知識の域であります。 2月19日の夜、京都駅を出発し、昨日24日朝に戻ってまいりました。交通手段は、仙台まで夜行バス。P.M.9:30出発のあくる朝A.M.7:00頃着です。そのあと、貸し切りバスで、被害が甚大であった釜石や火事で全焼した山田町を視察し、宮古着P.M.16:00。 被災地のボランティアというと、今の時期は「雪下ろし」を想像した方もいるかもしれませんが、うちの夫も、即それが頭に浮かんだらしく、「みーちゃんにはそんなんできへんで。京都の寒さとは違うで。」と申し、行く前に、コートから靴、バッグ、ドライヤーまで買ってやり、寝袋に至っては、防災グッズとして一つぐらい置いておくのも必要かもしれませんが、我が家の狭い収納場所の保管に困るので、とりあえずレンタルすることにしたのです。 実際行ってみると、無使用の仮設住宅に9人が、3つの部屋に分かれて入り、貸布団、貸寝袋ともに用意してあったということです。食事は、現地にいる間は、自炊で、料理のできるひとが申し出て、代表で作り、うちの娘などは何もできないので、食べさせてもらったというわけです。トイレは、無使用であったせいか、最初は水が凍っていて、お湯で溶かして水を流すところから。お風呂も、9人いるので、シャワーしか使わなかったそうで、それは寒かったでしょうね。夫が心配した雪は、降れば即積もるそうですが、沿岸部の宮古は比較的雪は少ないらしく、娘の滞在中もほとんど降らなかったそうです。 ボランティアとしての主な仕事は、「傾聴」ということです。ひとつ部屋を設けて、仮設住宅に住むお年寄りに来てもらって、お話を聞いたり、遊んだりするわけです。そのあとでまた、参加者でミーティングするのです。娘としては、このお年寄りとの交流よりも、参加者との集団生活がストレスであったらしく、「感動した、胸がいっぱいになった……などというひとがいたけど、わたしはなにもおもわなかったよ」と申しておりました。帰りは、世界遺産岩手県平泉、中尊寺に立ち寄り、無事帰宅の途に就きました。 わたし同様、娘もボランティアには不向きなんでしょうね。素直でないと申しましょうか、なんか大人びているとでも申しましょうか、今回も、偽善を装いたくないという思いが随所に無受けられて、だったらボランティアなんてしなければいいのにとおもいましたが、帰ってきて早々「また行きたい」と申しております。わずか5日間ぐらいのことですが、何回も出かけている、彼氏と行く、ディズニーもいいんだけど、集団生活で修行する被災地も、本人にとって、いい経験になったことは確信いたしております。 ところで、被災地のがれき処理は、のらりくらり、いったいいつまでかかるのでしょうか。全国の解体業者に国会議員に支払う給与のお金を払えば、断然速やかにかつ適切に処理するのではないでしょうか。どうせ、また新政権に変えたりとかして、自分たちの利権の持つ期間を、いたずらに長引かせているだけにしか、わたしには見えないです。 さらに、神経を逆なでるというか、「休眠預金の利用」なんて、先日のテレビの情報番組でやっていましたね。わたしも、使わなくなった通帳を何枚か持っています。わずかの金額ですもの、被災者のお役にたつなら、即刻使ってもらっ ても一向に構わないです。だけど、そんなことは、政府が、口にすることではないのです。自分たちの給与を削減せずして、国民の微々たるお金に目をつけるなんて、公務員て、ほんとうに狡猾、そして厚かましいですね。国民の感とは全くかけ離れています。わずか7.8%削減に、がたがた言う意味がわかりません。7.8%といっても、元の数だって、国民のそれよりは低くないでしょう。被災地の人たちは、30%減、50%減、0のひとだっているわけです。こんなの算数の弱い小学生にだって、理解します。被災の補償と公務員の給与、決して筋の違わない論だとおもいますけど。 そして最後は、音楽(詩)です。賢治ではありません。サイモン&ガーファンクルの「Flowers Never Bend With the Rainfall」「雨に負けぬ花」です。ここのところ、ちょっと雨降りが続いたので、ひさしぶりにおもいだしていました。また、これから春先、しとしと冷たい長雨が降りますが、そんなときおもいだす曲です。 P. Simon Through the corridors of sleep Past shadows dark and deep My mind dances and leaps in confusion I don’t know what is real I can’t touch what I feel And I hide behind the [...]
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