トロフィー工房のBillie Jeanです。 本日の話題は成人の日についてです。1月9日は、成人の日です。でもその前に……昨年のわたしの投稿から“3回目の結婚”つながりで、ビートルズのポールマッカートニー、徳川2代将軍秀忠夫人、お江に次いで、お正月早々、米ロックンロールキング、エアロスミスのボーカル、スティーブン・タイラー、63歳が婚約したということを、ネット上で報じておりました。スティーブンが、かつて何度結婚したか、わたしは全然知りませんでしたが、今回、この婚約が結婚にまでこぎつけば、3回目ということです。ホントかな? なんてったって、バカが付くほどのロックンローラ。わたしが、かれを知った’70年代のころから、かれはメチャクチャの不良坊主で、警察沙汰もありましたし、バンドの中でも揉め事が絶えませんでした。最近でもエアロスミスを脱退して、ツェッペリンに入れてもらおうとしたとか、わけわからないのがありましたね。当然、女性関係だってドロドロ、公式にされていないものまで、紆余曲折あったことは推測するに容易いです。まあ、それはロックンローラなら当然のことでしょうけれど、ただひとつ、わたしのような一般人?にも勇気を与えてくれることは、結婚てルックスではないということですな。 ポールはちょっとベビーフエイス。かわいらしい顔をしていますが、お江さまは、あまり美人ではなかったということですし。スティーブンのトレードマーク。あの大きな品の無い口。なんかあれだけでひとつ小説がかけそう。あの口で、♫ウオーク ディス ウエイ〜と雄叫びを上げるのですね。映画『アルマゲドン』のヒロイン、グレース・スタンパー役の女優、リブ・タイラーが、スティーブンの実娘であることはあまりにも有名です。超美しいひとですね。今回婚約したという女性も、モデルということで、写真で見る限り、なかなかの美人でした。やはり夫婦は陰陽。ロックンローラーは、幸せなんてチャンチャラおかしいと笑うでしょうけど、今度こそ最後まで添い遂げられるといいなと、一般人の余計なお世話でしょうけど、悔しいけど、かれにずっとあこがれてきたわたしは、そうおもいます。こころから祝福いたします。おめでとう。 ちょっと前置きのつもりが、スティーブンのこととなると、つい熱くなってしまいました……あくまでも本日の話題は、わたしが、そんな西洋音楽にかぶれていた青春の日、成人の日です。 あらためまして、今年、成人式を迎えられるみなさま、おめでとうございます。わたしの娘が、今年の7月で二十歳なので、成人式となると、来年、1月の第2月曜日ということになるのでしょうか。わたし自身がその時は、1月15日だったので、それが頭にこびりついて、この移動式の祝祭日、ハッピーマンデイ制度は、いつまでたっても慣れません。 クリスチャンでもないのに、クリスマスを祝うひと、仏教徒でもないのに、お盆にお休みを取るひと。それぞれその意味、そのルーツを知って、そうしているひとがどれだけいるでしょう。それを理由に、楽しんだり、お休みしたりするのに、それは個人の勝手だし、いちいち薀蓄を述べるほど、わたしは、口説くもありません。ただ、一方的な営利だけを目的とした祝祭日ビジネス、これが、わたしをマンモスクレーマーにさせるのです。いずれ、そんな異常なまでの営利主義、金儲け主義は、そのツケが回ってくるのです。でも、遅い!!! 成人と言えば、風習として、日本の多くの二十歳の女性は振袖を着ます。いまでこそ、やっと少しは、そうしないひとも現れ、まだまだ“ちらほら”しかいない?そうしないひとも普通?でいられるようになってきたように感じます。わたしが二十歳のころ、今よりちょっと前?ですが、振袖を着て成人式に行かないものは変体扱いでした。 成人ということだから、既に自我に目覚めているわけで、パーソナリティが確立されているわけです。振袖であろうと、なんであろうと、なぜ、みんな揃えないといけないのか。揃えたところで、同じであるはずはないのです。みんなその優劣を競い合っているわけです。その優劣の弱みにお商売人さんはつけ込むわけです。それが、わたしがいちばんむかつくところなんです。TPOを言っているのではありません。儀式ですから、カジュアルはまずいでしょう。でも、スーツやちょっとしたフォーマルドレスなら、理屈からすれば、全然ノープロブレムのはずです。 わたしの両親は、わたしの成人の日には、振袖を用意しました。でも、わたしは未だかつて、それに一回も袖を通したことがありません。わたしのような不細工なものに、あの派手なお衣装は似合わないとおもったし、そんな高価なモノにお金を使うくらいなら、どこか外国に旅行でも行かせて欲しいと申しましたが、両親は一切聞き入れませんでした。成人式当日は、お友だちや、親戚の叔母、お茶やお花の先生まで批難轟々でしたが、わたしはかたくなに振袖を着なかったし、そんな成人式には参加すらしませんでした。 スティーブンなら、そんなわたしを理解してくれたでしょうか。ちなみに、わたしの娘も、振袖にはなんの興味もないようです。高校の卒業式も、女の子はほとんど振袖だったのですが、着ませんでした。別に、わたしが強制しているわけでもないし、さきほど書いたようなことを話したこともありません。主人などは、レンタルで良ければ用意する、とは言ったのですが、スーツで出ました。 それが、わたしの娘のおとなとしての表現なのだからいいでしょう。そういうことが、少しずつ世に認知されてきているとは感じます。全国各地で行われる成人式も、古い慣習に捕らわれないように様変りしてきているとはおもいますが、しかし、いまだにその空気を読み取れない愚かな企業はあるのです。わたしどもに送ってきた、振袖のカタログ。わたしも営業の仕事をしている以上、DMの一枚や二枚でガタガタ言いませんよ。その厚さもさることながら、全く同じものを2冊。一回はクロネコヤマトのメール便で、フリーダイヤルして返しました。それもこちらの住所を言わないといけないし、取りに来る時間まで指定してくるという煩わしさで、ポストにいれておくから、もって帰ってくださいと、やっと返したのに、3日後ぐらいに、先と同じカタログではなかったものの、また違う種類のカタログ同じもの2冊。こういう愚かなことはいい加減やめて欲しいです。 そういうことで、あいも変わらず、とりとめもないことをグダグダ書きましたが、最後はなんの説得力もない、音楽です。娘の来年の成人式には、この曲を贈りたいと思います。安くつくなぁ、わたしの娘。エアロスミスではありません。古い歌です。1967年ジュディーコリンズがうたった、「Both Sides Now(青春の光と影)」と、1970年アメリカ学園紛争を描いた映画「いちご白書」の主題歌で、バフィ・セントマリーの「The Circle Game(サークルゲーム)」です。2曲とも、ジョニ・ミチェルが作った曲です。 ひさしぶりに、You-Tubeできいてみて、元祖もいいのですが、いろんな人がカバーしておりまして、それもいいのがありました。「Both Sides Now」は、上田正樹さん。ステキなハスキーボイスの「Both Sides Now」それと、「The Circle Game」はなんと、アグネス・チャン。この方ギターも弾けて、多才な方ですね。舌足らずの♫サークゥゲーム〜がとてもかわいいです。 わたしは、リアルタイムでは聞いておらず、おそらく、ずっと後でラジオかなんかできいて好きになった曲です。詩が深いです。青春の切なさをよくうたっております。わたしの娘も、この4月は大学2回生です。サークルもアルバイトもせず、毎日もんもんと過ごしております。原則、家庭教師か、塾の講師以外のアルバイトは、わたしが、禁止しております。それでも、なにもしていないことに気持ちが焦って、あれをやりたい、これをやりたいとチャレンジはするのですが、どれも長続きはせず、失敗に終わります。 勉強も、学術書が読めないとか、何を読んでいいかわからないとか、しょっちゅう言っております。世のおかあさんは、こんなとき怒るひともいるんじゃないかな。甘やかすつもりはありません。兄弟に生まれたために、比べて申しわけないとは思うけど、息子は、ちょっと勉強すれば、やった、やったと、言い訳がましく言うのに対して、ほんとうに勉強している人は、自分の未熟さがどんどん見えてくるもので、そういうことを娘が言っているのだと、わかっているから、わたしはそんなことで叱ったりはしません。 恋愛は、好きな人はいるようです。でもこちらから打ち明けるようなお転婆はやめなさいと言ってあります。娘もその考えに一致しています。二十歳のお誕生日までに、成就するといいね。それがダメでも、人を好きになることができる、自分と自分以外の人を大切にすることができる、ということが、“おとな“になったということだとおもうから、来年の成人の日には、この2曲を聞かせて、「だいじょうぶだよ」と言ってやりたいです。 トロフィーのご用命はトロフィー工房まで。
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