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メガソーラー

トロフィー工房のBillie Jeanです。 近ごろのお商売は、「ハンバーガー1個買うと、もれなくもう1個ついてくる」そういう商法なのだそうです。いらねえ~元々ハンバーガーより、わたしはドーナツの方が好き……いやいや、ここはそういう問題ではなく、消費者の立場からすれば、もう1個プレミアムをつけるくらいなら、その分値段を安くしてくれればよいわけです。しかし、それがそうもいかないらしく、いまは需要なき時代だそうで、要らないものを作って売らなければ、お商売が成り立たないそうです。営業というお仕事は、いつでもたいへんですけど、いまはとくにそうですね。 たとえば、郵便局です。「ふるさと宅急便」でしたか。本業そっちのけで、パンフやチラシがいっぱい置いてありますね。切手を買いに入っただけなのに、「カニはいかがですか。北海道のボイル毛ガニ、2匹セットと、4匹セットの分があるんですけど……」なんて、営業されたときは、ギョっとしてしまいます。当然買うはずもなく、郵便局を出た後、わたしは毛が生えてるものは苦手なんや!いやいやここもそういう問題ではなかったでのですが、不要のものを押し売りされて、とっても気分が悪かったです。 まったく世の中、要らんものばかりあふれていて、怒り心頭に発します。「需要がない」と言いますが、ほんとうにそうでしょうか。だれだって、欲しいものはありますね。わたしもいっぱいあります。それは、「需要がない」のではなく、「需要を見抜く目を持っていない」ということだとおもうのです。 たしかに、昨年の秋ごろからこの冬にかけて、リーマンショックのときほどではなかったにしろ、受注数が激減して、わたしは元々派遣ですから、そういうことにはトラウマで、景気の動向に神経過敏になっていたわけです。こんなときに、いっぱい要らないものを作って、在庫を持つなんていうことは、時代錯誤もはなはだしい、その需要を見抜く目を持たないことを露見しているようなものです。不要な在庫は、できる限り減らし、「必要なものを必要な分だけ、確実に作って売る」このことが、いまのお商売にとって、賢い方法だと、わたしは思います。 さて、これが、真実の需要を見抜く目にかなっているものなのか、どうでしょうか。このほど設立されるということで、わたしが大いに期待しているものがあります。それは、メガソーラー。京セラとソフトバンクの共同出資で、京都府内初のメガソーラー発電所となるということです。伏見区淀水垂町および淀樋爪町といいますから、自動車運転免許試験場あたりでしょうか。敷地面積が最大89,800m²って、甲子園球場が、グランド面積で約13,000㎡です。わたしの家から、ほんとうに近いところなのですけど、そんな広いところあったっけな。第1基と、第2基があって、第1基は、なんと、もうすぐ、今年の7月に運転開始予定となっています。 「京都市水垂埋立処分場大規模太陽光発電所」 京セラの稲盛和夫さん。JALの再建に無償で務めるとおっしゃったのも記憶に新しいですが、御年満80歳。京都の経営者の誇りです。メガソーラーは、文字通り、「地元京都のエネルギーの地産地消」これこそ京都府民がほんとうに求めているものですよね。春になって、サイクリングコースで、見に行ってみようかな。興味津々です。 ということで、本日も、最後は詩です。ここのところ、わたしのブログは、これがパターンになっておりまして、別に決めているわけではないのですが、なんかひとつないと終わらない感じがして。本日は、金子みすゞ(1903年4月11日 – 1930年3月10日)です。「わたしと小鳥とすずと」の作者です。よく小学校の国語のテキストに採用されています。そのほか、ACのCMで、「こだまでしょうか」というのもありましたね。 金子みすゞの生前は、西條八十(さいじょうやそ・1892年1月15日 – 1970年8月12日)によって、その作詞の才能を認められ、山口県下関で、順風満帆の創作活動をおこなっておりました。それが、様々な事情があったのでしょう。26歳の若さで、服毒自殺いたします。そこで一旦、その作品は世に埋もれてしまうのですが、1984年児童文学者、矢崎節夫によって、遺稿集が発掘、出版されて、再び世に広く知られるようになったというわけです。わたしも、この遺稿集を持っています。 あした まちであった かあさんと子ども ちらと聞いたは 「あした」 まちのはては 夕やけ小やけ、 春の近さも 知れる日。 なぜかわたしも うれしくなって 思ってきたは 「あした」 この詩で、わたしも、おもいだすことがあって。むすこが生まれたのが、厳寒の1月で、ちょうどいまのころは、すこし春めいて、首も座ってきて、大きなバギーで、わたしは、むすこを、外へお散歩に連れ出したのです。ちょうど、淀の駅(旧)の踏切のところだったとおもいます。電車の通過待ちで、3歳ぐらいの女の子が、バギーの中のうちのむすこを覗き込んで、そのあとすぐさま、自分のおかあさんに「かわいいね」って、すこし、はにかみながら、言ってくれたのです。あのときのわたしのうれしさは、なんとも言えません。はじめての子どもで、実家の両親にもあまり頼れなかったものですから、育児で毎日一生懸命だったのです。そんなとき言ってくれた、女の子のひとこと。知らぬまに閉ざしていた世間への扉が開いて、あたたかい気持ちになりました。こんなことが言える、こころやさしい子どもに育てたいと、育児がちょっとだけ、たのしくなった瞬間でした。 トロフィーのご用命はトロフィー工房まで。